質量を与える素粒子

質量を与える挙動を見出すのは大変らしく最近まで発見されなかった。
よくヒッグズ粒子は素粒子の行く手を邪魔をする。=移動速度の制約=質量の発生。と説明される。
だが、よく見てみれば、おかしな絵だ。
最初に一回だけ邪魔をすれば、運動量が保存されているハズ(?)なので、移動速度は確定する。
そう何度も何度も素粒子の行く手を邪魔する必要はない。それでは素粒子は勝手に減速して静止してしまうではないか?
という疑問が生じる。
まず疑問に対する自問。
運動量保存はどうやって成り立っているのか?
もしかすると、ヒッグス粒子が邪魔しつづけないと、すぐに素粒子は光速度までスピードを上げてしまうのかもしれない。(大笑
ありえない現象な気もするが、ヒッグス粒子が充満する空間でしか生活していないので、ヒッグス粒子が存在しない空間での素粒子の振舞は想像するのは難しい。
物質界での速度は構成要素(素粒子)の総体の速度(個別の素粒子の移動ベクトルの合計)なので、0から光速度まで幅があるが、もしかすると、本来、素粒子単体(宇宙の最小?の構成要素)の速度は光速度しかないのかもしれない。
その結果、ヒッグス粒子の力場を光速度でくぐり抜けるだけのエネルギーが必要になり、ヒッグスと相性が悪い素粒子はそれだけエネルギーが必要になり、結果として反応が鈍い=質量ということになるのだろう。
もっとも、このモデルには無理がある。10gと100gの球体を正面衝突させた場合の結果をまったく証明できない。
例えば、2個の原子の塊(電子雲の一部を共有している)と1個の原子が正面衝突したとしよう。
2個の原子核の周囲の電子雲の電荷は2倍あるので電子雲はあまり変形せず、1個の原子の方の電子雲の方が大きくゆがみその形を復元するクーロン力で自らはじき出され、結果として1個の原子の電子核も移動速度を上げて遠ざかることになるが、両方の原子核の1個あたりの質量が同じなら計算式上は両辺にかかってくるので、原子核の質量は相殺され結果質量の影響は0。この現象に介在するのは電子雲の持つクーロン力だけで、ヒッグス粒子の存在を感じることはない。つまり存在していない様に見えるのだ。この辺が質量の無量間が強いものの、何かの変化(変な反応)が見つかればヒッグス粒子の発見(確率はかなり低いが目立つから)につながりやすい。
次に、質量の異なる原子同士の正面衝突を考えると、原子核の質量というより周囲に何層もある電子雲の重厚さがものを云うし、1電子当たりの原子核の質量の割合が一定なら、質量そのものの出番はやはり無いのだが、原子核には陽子の他に中性子もあるとされ、原子番号が大きい原子ほど中性子も多いので、やっと質量の出番が回ってくる。衝突が終わった後(電子の雲が向きを変えたあと)に電子が原子核の方向を変える(引きずる)難儀度としてやっと質量が出てくるわけだ。電子曰く「何で俺だけ、あいつより重い原子核を押し戻さないといけないんだ」と云うつぶやきこそ質量なのだ。
この様に古典的な物理現象(衝突や移動など)の反応は大方が原子核の周囲を回る電子同志の話し合い(反応)で方が付くため、本当のところは質量は直接には介在しない(衝突の後の反応にからんでくるだけ)。そして物質の重量を計測しやすいので単に質量の目安として使われているのだ。
こう書くと身も蓋もない感じがするが、質量が絡む物理反応(物質同志の衝突など)と重量が絡む物理反応(地球の引力など)は全く違うものだ。しかし、おおむね物理での質量は実際には重量を意味するし、詭弁と云えなくもない。だが、その質量と称する重量によって正面衝突の結果が大体予測できる(軽い方が跳ね飛ばされる)ということに間違いはない。
ヒッグス粒子の云うところの質量は静止質量という素粒子の反応に限定した特定条件下での質量で、何トンなどの大質量(多数の素粒子の総体)としての質量は説明できていない。
つまり、ヒッグス粒子は物質界にとってはほぼ無縁、実態は短命な中間子の一つと考えた方が無難だ。
但し、分子の構成(電子雲の動き方)が変わる場合はかかわってくる(電子のエネルギー変異があるから)ので、全く無縁という訳では無い。
 




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