百詩篇第10巻72番
L’an mil neuf cens nonante neuf sept mois
Du ciel viendra un grand Roi deffraieur
Resusciter le grand Roi d’Angolmois.
Avant apres Mars regner par bon heur.
1999年、7か月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモワの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために。
wikipedia ミシェル・ノストラダムス師の予言集 から
とあるTV番組で、実は地元フランス?の旅先で出会った碑文を転載した旅行本じゃないのか?
と云う説もあったが・・・
※旅行者用に予言集を書いた碑文かもしれないけどね(笑)
多分、その予言の意味するところは
「未来」と云うのものの実感が無くなってしまったことだろうか?
20世紀末は、世紀末風な風潮もあったけど、21世紀が来る前にやっておきたいこととか、何となく何かやりたい。という感じがあった。
そして21世紀になってしまうと、のど元過ぎれば~な感じで、惰性で動いている感じがする。
色々な選択肢があっても
「とりあえず」 無難な選択肢を選ぶ。
のが基本になったような気がした。
「とりあえず」の風潮に乗って
逆に「こんなモノでいいんじゃない?」と取り上げられているのが
ココみたいな書きなぐりのブログやtwitter であり、
i-PadやAndroidな気がする。
気苦労が多いSNSやバリバリにコードを書いたパッケージは扱いが面倒で、もう流行らない。
21世紀初頭・・・
それは始まってスグに草臥れてしまった世界でもある。
ps. 個人的には グッチャグチャなC++ の仕様が出来上がった時点で気づくべきだったと思ってる。