バブル世代 と ゆとり世代 と 不況世代

日本の世の中には

  • バブル世代:バブル時代を懐かしんで未だに抜け出せない世代。
  • ゆとり世代:競争の無いゆとり教育の雰囲気から抜け出せない世代。
  • 不況世代:不況から未だに抜け出せない世代。

の3種類がいる。
ゆとり世代を揶揄して、競争の経験が無いとか云々と云う人もいるが、どの世代でも「受験、進学、内定」は存在するので、本当の意味で「競争の洗礼」を受けていないものは居ない。そして、本当の意味での「競争」はいづれも「受験、進学、内定」存在しないのだ。
どちらかと云えば「競争による競争のための競争」ばかりのつめこみ教育
=中身の無い「バラエティの早押しクイズ番組」式の教育
の裏返しが「ゆとり教育」であった。
しかし、教育現場も、中身が無い「バラエティの早押しクイズ番組」の出身者しかおらず、当然『ボタンの早押し』しか取り柄が無く、『ボタンを押す前に一セリフ』の様な芸も披露できず、実践できるものがロクにいなかったため大失敗という幕引きで終了した。
本来は、「目の前の敵」は「いづれは仲間になるであろう同じ民族」であり、「本当の敵」は「地平線の遥か向こう側で何億人も暮らしている」という当たり前のことを云いたかったのだろうが、明治時代の頃の様に明け透けに云う訳にもいかなかったのだろう。ちゃんと目標を定めぬまま教育の路線を変更したため、脱線するのは当然の帰結である。
しかし、「明治の近代史」を読んでも「明治には本当の英雄がいた」等と「内輪話」に花を咲かせるだけで、「当時の列強欧米」が真の敵(侵略者)であることに何も感心が向かないのであるから、「バブル世代」も「ゆとり世代」も「不況世代」も「井の中の蛙」であることに変わりはない。
なぜ、真の敵であった「当時の列強欧米」が今では日本と仲良しになっているのかといえば、当時の固定為替相場では「領土を奪う、資源の略奪、奴隷労働力の確保」等の「他国の資源を自国に持込む」ことが大きな目標であったが、今の変動為替では「買いたたかれるだけ」なので「大特価な格安の為替相場のうちに投資し、普通の為替相場になったら売り払う」のが一番賢いとされ、主な投資先が自国の軍隊から相手の国や会社に変わったのだ。だから、今の列強欧米はどこの国とも仲良くするのが正論なのである。
この変化の中でのアメリカ合衆国の役割は大きい、なせなら「当時の資源産出国であったアメリカ」としては「他国の資源を自国に持込む」では国内の資源開発業者にとっては美味しく話ではないという事情があり、まず自国のスキーム変更を行ったが、それにより国内は大規模な内戦(南北戦争)に突入し、大統領も狙撃され死亡するもスキーム変更を標榜する北軍が運良く勝ってしまったので、次の第一次世界大戦では「民族自決」のスローガンを掲げ、経済の発展と衰退からブロック経済化とともにスキーム変更がうまくいったかに見えたが、この状況を打破すべく枢軸国で「身勝手な民主主義」(ファシズム)が登場し美味しいところを根こそぎ持ち逃げされたので、第二次大戦に突入し世界ごとひっくり返さねばならなかったのだった。(本当にご苦労さまです。)
そんな大変な苦労によって「仲良くした方が儲けられる世界」というスキームが出来上がったので、彼らは(儲けるために)ニコニコしているし、当然彼らと接する時は(儲けるために)ニコニコした方が得策であるのだが、多くの日本人が、その辺の理解があってニコニコしているのかは不明だ。
だから、「あいつはダメだ」とか「あの会社はダメだ」とか「仲間内の評判話」に花が咲く体たらくなら、どの世代も50歩100歩。「あっちの藩はダメだ」とか「幕藩政治は限界」とか云つつ「忠誠は誓い、奈落の底へ旅立つ」幕末の志士と同じであると思う。




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