理性も感情も行動も必要だ

単純化すると
理性とは考えることであり、感情とは思いつくことであり、行動とは体を動かすことである。
例えば、
腹が空いたなぁ~と感じるのが感情で、
カップ麺の説明を読むのが理性で、
上フタを印の位置まで剥がし、熱湯を注いで、所定時間まで空腹を我慢するのが行動である。
と云う風に、
感情が引き金となり、理性が行動を決定し、行動が感情を制御するのだ。
そうせずに感情の趣くままに行動を左右すると、
とんでもなくマズいカップ麺を食べることになり、
「ちゃんと時間を計っておけばよかった」のような失敗経験を積むことで、
次は説明の通りに行動しようと思うものである。
※それでも懲りないのがクリエイター、チャレンジャー、お笑い芸人等ネタで食っている人である。
さてここでいきなり話を例の原発事故にふってみる。
今、原発全廃論が主流である。
だが、これは全くの無責任な話で、
事故のあった原子力発電の電気なんて嫌いというだけ。
原発を全廃すれば、電力会社の発電力量の円グラフから存在しなくなります。
それは原子炉に新しい燃料を投入せず営業運転しないことを意味しますが、
原子炉は存在しなくなる訳ではありません。
※そのまんま原子炉を解体したらどうなるか判るよね?
電力会社にとっては、発電に使わないのに、安全に十分に心がけて管理しないといけない厄介なお荷物になるのだ。
※祟り神を祭る神社みたいですね。
それだけではない年月が経ち設備や管理に老朽化が目立ちだしたら、事故の可能性も大きくなる。
それなのに、使用していない核燃料そのものは新品同様にエネルギーを蓄えたまま。
一度事故が起きれば、もっと酷いことになるのは想像できますよね。
はっきり云えば、電力会社や原子力安全委員会のみに管理をお任せてしておくのは大変危険なのです。
※ほぼ未使用状態ですが、原子炉で使ったのは確かなので使用済み燃料として管理してました。とか平気でいいそうです。
で、どうしますかね?これから。
核燃料にNOのレッドカードを何十枚出しても、全廃運動しても、意味ないんですよ。
必要なのは、安全に管理する方法を考える理性と行動が必要です。
しかし、それをずっと妨げてきたのが感情なのです。
そう考えると、
CO2を出さない環境に優しい原子力発電なんでしょう?とか云って、
大都市のど真ん中に原子力発電所を作らせるべきだったのでしようかね?
そうなれば命がけで、安全第一で運用し、万が一の事態への対応も万全に・・・
やっぱり無理かな~人間やれることには限界がありますからね。




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