クラウドは人類最大の資産になるのかな

時が経てば、色々と処理能力があがったり容量も結構増えてるかもしれない。
孫氏の予想の300年後には通信速度は300万倍というのはよく判らなかったが・・・
 
今の図書館も閲覧不能だったら本の墓地でしかなく、それはクラウドの実態であるデータセンターも同じだ。
現在よりも圧倒的な情報の物量が扱える様になっても、より便利な検索や情報を作り出す方法が必要だろう。
しかし、その使い道は目的こそ現在とは違うだろうが、多くは日常的な目的でしかないはずだ。
 
常時クラウドと連携できるようになれば、アンダーパスやトンネル内で使用できないと云う今の制限事項も通用しないだろう。
それこそ頭の中に通信機器を埋め込んでいたりすれば「情報機器を携帯しての入室を禁止する」こともできない。
あまりにも日常的に利用していれば用途そのものもはっきりとせず「用途を述べて上司の許可を得ること」すら無意味になる。
 
会社での情報管理もクラウドの中に置かれていくだろう。
それは会社がクラウドを使うのではなく、クラウドの中に会社用のアプリが入っている感じになり、その情報を他へ流用しても、暗号化されていて可読不能とかそんな感じに。
 
しかし、一方で、人間の扱いはどうなっているのかは、よく判らない。
クラウドあっての人間なのか?人間あってのクラウドなのか?その辺は見当も付かない。区別すら意味がないかもしれない。
また人生の目的のひとつでもある「一生のうちに何かを達成する」ことに、「クラウドの中の何かに貢献する」ことが含まれるだけでしかないのかもしれない。
「クラウドの中の何かに貢献する」のであれば、必要なのは一瞬のひらめきで、200才とか長生きすることにり意味は無く、不要な人間はどんどん社会から放りだすのが当たり前になっているかもしれない。必要なのは「クラウドの中の何か」で人間でないなら尚更だ。
更にクラウドが普通にイメージとしての風景の一つになってしまえば、当たり前の存在であり、大したものではなくなっているだろう。
ライフログなどは当然で、単に体温計の記録がいつまでも残っているのが当然なだけ。
 
30年も経てば、色々変わっているだろう。だが、すべては当たり前のことでしかない。
よって、「 クラウドは人類最大の資産」と云う人がいるとすれば「 クラウドを資産と呼んで儲ける」そんな仕事をしている人だけだ。
古代ローマの上水道施設が巨大な資産であったように、そういうものは実現してしまえば全てが当たり前の日常のものでしかない。
あとは補修費が膨大になれば保守することもできず、腐食し最後には巨大な産業廃棄物になってしまうのはクラウドも避けられない。
そして誰もがクラウドの実際の姿形に何の愛着も持たないであろうから、世界遺産になることもないだろう。




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