今のコンピュータは、こんな手順で扱っている。
- 処理の選択
- 何かのジェスチャ(画面クリックとかOKなんとかと喋る等)を行う
- 操作に紐づけたストック(作り置きした手順(俗に云うマクロ))を引っ張り出してくる。
- 場合によってはストックに少し手を加える。
- 手持ちのストックが無い場合
- プログラミング言語で処理の手順をガリガリ書く。
- 何かのジェスチャ(画面クリックとかOKなんとかと喋る等)を行う
- 処理の実行
- コンピュータ自身にその手順を読ませる。
- ちゃんと読めなかったら、1.に戻る。
- 処理した結果を集計する。
- 処理結果の判定
- 予想と違う結果が出たら1.に戻る。
- 予想通りなら、終了。
という手順になっている。
AIになると、どうなるのかというと・・・実は何も変わらない。
あえて言えば、2.の処理の実行が一方向ではなく、いくつか(あるいは多数)の選択肢があるところが異なる。
例えば、アンケートをWEB化すると
- 今までアンケートの運営
- アルバイトをいっぱい募集
- 街角でアンケートを取る
- 汗をかきながらアンケートの紙の内容を集計
- グラフを作る
- WEB化してみると
- どこかのサイトのポイントをエサを撒く(メールを送る)
- スマホでアンケートに答えてもらう
- アンケートはもちろんWEBサイトで行う
- アンケートの集計処理はそのサイトでスマートに行う。
と云う感じで、WEB化すると人件費があまりかからないので、淡々と営業をこなせば、自然と売り上げが立つような気がしてくる。
しかし、
- AI化してみると
-
- BOTが色んなサイトを回って記事を読む
- AIが読んだ記事を数値化する
- 数値化した結果からアンケート風にグラフを作る
となるので、どんな結果が出ても不思議ではないものの、この結果が本当なのかな?という疑問が常に付きまとう。
これを払しょくするには、
- AIのアンケート結果をネットの記事にする。
- その記事の巷の評価を人手でかき集める。
- 集めた結果を研究する。
- 研究結果を総括する。
これでは、AIもネットのネタ(広告を読んでもらうためのエサ)止まりでしかない。
AIの記事が独創的で刹那的な結果が多いのも当然と云えるだろう。
その点で云えば「AIとは人力のSI事業をコンピュータ化してみました!である」みたいな表現が一番近い感じがする。
つまり、全て(AIもAIの記事もAIの研究等)は、広告を集めるための手段でしかない、結局はGoogleの手のひらの上で踊っているだけなのである。
つまり、AIが面白ければ何でも良いのであって、特に深く考えても、全く意味がないのである。
また、AIが発達すると、仕事が無くなるという話もあるが・・・これは全く見当はずれである。
すでに、ネットでは情報があっという間に食いつくされ陳腐化されるので、AI化しても、全く間に合わないのだ。
また、AI以前に自動化とかロボット化の流れがあり、一般の従業員の仕事を減らしている。
これにAIが増え、AIが一般のマネージャの代わりに一般の従業員へ指示をだすようになり、マネージャの仕事を減らそうとしているのだ。
これも、情報があっという間に陳腐化される現状を考えれば人力で何とかなる範疇を越えているからだ。
ただし、AIがマネージャと連携する上で、マネージャの能力を査定することを避けられないので、無能なマネージャには致命的ではあるものの、一般の従業員>>一般のマネージャと数の差があるので、社会全般としては、影響はとても小さい。
また、細分化されすぎた技術職(医者や弁護士など)のサポート(知識検索)としてAIの利用が何度も検討されているが、人間の知識吸収力の限界もあって技術面の専門馬鹿が増えすぎているから、技術者同士の情報共有が困難になっている(情報を集めても各自の守備範囲を遥かに超えているため読んでもイミフ(まるで別の国の言語みたい!))から、夢の全自動運転カーなんかより、かなり切実なものがある。