なぜJavaでWebならJBossだったのか(珍説)

Java1.2の頃は、はっきり言って悲惨としか云えない状況だった。
文字のコードページ処理がデタラメといっていいだろう。
サーバがWindowsならHTMLやDBはSJIS、UnixならEUCJP以外まとも動かなかった。そう、コード変換がさっぱり当てにならなかったのだ。
その辺は、JavaScriptも一緒で、パソコンのOSを考えながら組まなければいけなかった。Windows-NTのブラウザが、unicodeベースだったらWindowsはWebで大敗北しかかもしれない。
それくらいひどかった。勿論日本語だけの話である。
また、画像ならともかく、テキストファイルのアップロードやダウンロードも勝手なコード変換がアチコチのサービスで駆けまくるものだから、テキストなのに、バイナリーファイルの振りをして逃げまくるとか情けない状況であった。
この状況がマシになっていくのと、JavaのWebサービス関連パッケージの勃興が重なり、コードページやらファイル処理が面倒なのでパッケージにまかせて、中身だけ作ろうと云う気になるのは至極当たり前な敵前逃亡であった。
こうして、HTTPプロトコルやらHTMLヘッダのMETAタグは、サービスパッケージやらブラウザの開発サイドの独占化が進む中、開発サイトの減少によりコンセンサスは取りやすくなり、話が進み、事態は悪化しながらも次第に平静状態に膠着していった。
という訳で、HTMLヘッダのMETAタグは、こんな風にすれば大丈夫という流れが出来あがっていった。
もう、こうなるとHTMLヘッダなんて呪文で、本当はどう解釈すれば全うなブラウザやWebサービスパッケージを作れるのかはブラックボックスの中である。
とても、TCP80ポートを開いて、GET・POSTコマンドを解析して・・・なんて
原始的な事すら、謎のトラブルに怯え、誰も見向きもしなくなったのである。
こうして無知あるいは闇に怯える姿勢がJBossへの妄信を支える大きなバックボーンとなっていったのである。




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